上杉鷹山の生涯TOP > 産業の開発 > 産業の開発 飢えをしのぐ 投稿日:2018年8月18日 米沢藩の財政は、飢饉・凶作などが続きかなり苦しいものでした。 安永5年には、飢饉・凶作に備える蔵を各村に立て、毎年一人一升ずつの籾(もみ)を蓄えさせました。 何をさしおいても領民が生き延びる策をとっていたのですね。 Twitter Share Google+ Pocket Hatena LINE -産業の開発