上杉鷹山は、自分から進んで倹約をしていました。
江戸での一年の生活費をそれまでの七分の一である209両ほどとして、
衣服や食事、本などをまかなったそうです。
上杉鷹山の米沢での生活費は、さらに少ないものだったようです。
また、日常の食事は一汁一菜、衣服は上等な絹ではなく綿で作られたものだけで、奥女中は50人から9人に減らしました。
上杉鷹山は、家臣たちに倹約を求めるだけでなく、自らが進んで質素なくらしを実践していた、元祖「ロハス」主義者だったのかもしれません。
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